生きています。

唄い始めた頃、ブログだけが唯一の発信ツールで、毎回ブログの書き始めは、”今日も生きています”だった。ある人から”痛々しいよ”と指摘されて、意図的に書いていたことではなかったのでびっくりしてやめたんだった笑。あの頃は”生きてる”ってことに意識的になるくらいには毎日生きることに必死だったのかも知れないなぁ。

なにはともあれ、今日も生きています。
良いお天気が続いています。おかげで毎日必要以上に洗濯機を回しているような気がします。外にぱーっと洗濯物が干せる生活いいですね。
すっかりGW。GWを前に県の休業要請が出て給付金の詳細も出ました。三重県は休業協力金が一律50万円と。今回のコロナで実感したのは、県によって給付金の金額なども全然違うので、住んでいる場所や知事の存在感の大きさ。コロナの痛みからは逃れられないとしても、その痛みがなんとか最小限におさまるようにしかるべき場所にきちんと行き届いて欲しいと願うばかりです。

リモートワークになった弟一家は、とてもいい家時間を過ごしているようです。姪っ子たちも普段はやらないお手伝いや料理をがんばったり、みんなで一緒に散歩したり、仲良しの家族にとっては今回のコロナは家族水入らずで過ごせる貴重な時間になっているんだなとほほえましく家族LINEを見ています。
わたしはわりと引きこもり体質なのか、家で過ごしたり一人で過ごすことがもともとそれほど苦痛ではないのですが(一人の時間がないほうが辛いかも、、、)、そうはいっても自粛期間も長くなってくると、毎日気持ちも上がったり下がったり忙しく、すごく前向きになれる日とずどーんと落ちてしまう日もあって。そんなときは歩いています。歩いていると見えてくるのは足元の小さな草花。小学生の頃は通学が長い道のりだったので小さな草花をいつもたくさん見ていました。今でも咲いているんですね。自然にとても助けられています。
あたりまえに自然がたくさんある場所で生まれ育ってきて、今また改めて三重県に暮らしていてよかったなぁと感じています。
仲良しな家族がいる一方で、虐待やDVなんかのニュースを聞くと心が痛みます。家にいることしかできない今、その家が地獄だったらどうなるんだろう。一人で寂しい思いをしている人や病気の家族を看ている人、そもそも家がない人たちも。
先日、とあるドキュメンタリー番組を観ました。テレビがないので、いつもアプリやYouTubeを観ています。アプリには結構おもしろい番組があって発見でした。日雇い労働者の町、大阪のあいりん地区のことを取り上げた番組で、一人のホームレスにスポットが当てられていました。
その人が最後に”生まれてきてよかった。”と言っていたのがとても心に残って(ある意味衝撃で)、それからそのことを考えています。

人はそれぞれ。比べない。ずーっとそう思ってきたし、一番最初に書いた「虹」という曲でもそう唄ってきたけれど、実際にそんな風に生きるということは、わたしにとっては今でもまだ難しいことです。頭ではわかる、でも実際の心は違う。
これはもうずっと前からはじまっていたことだったと思う。もうとっくにみんな知っていること。SMAPの「世界にひとつだけの花」という歌を初めて聴いたのはもう何年前のこと?(今調べた2002年18年前!)初めて聴いたときにも”そんなこと知ってる!何を今さら”と思っていた。それなのに、実際にそう生きることのなんという難しさ。
このコロナが終息してももう以前と同じ世界には戻らないだろうと思います。時代の大きな転換点にいるんだと。これから少しずつたくさんのことが変わっていくだろうけれど、この”人と比べない生き方”というのがますます加速していくような気がしています。

以前に何かで読んだ樹木希林さんの言葉も思い出されます。

“ひとりひとり違って生まれる。当然、差別がある
いじめはちがいから起きる
わたしも人をいじめたし、いじめられたし
それを亡くそうたってーねぇ 
はてしのない道のりです
追伸 じゃあさ、皆で同じ形のロボット人間に
―それじゃ、つまりませんネェ。”


それぞれの日々の中で、それぞれの幸せがたくさんありますように。

あの人はあれを持っているから幸せ、とか
あの人はあれを持っていないから不幸、とか
そんなのはこれからきっとどんどんなくなっていく。
生まれてきてよかった、しあわせ。
そう自分が心から思えたら最強。
そしてその違いを認め合えたらもっといい。

歯のない笑顔、最強だったなぁ。